当初は別なネタを書くつもりでいたのですが、
先日twitterでボブ・ホスキンスの訃報を知り、
自分なりにいろいろ書きたいことが出てきたので予定を変更しました。
僕が初めてボブ・ホスキンスを観たのは、
『ロジャーラビット』(88)の地上波放送(確か日テレの「金曜ロードショー」)だったと思います。
地上波なので当然吹替え版だったわけですが、
故・内海賢二氏のアテレコも素晴らしい、個人的に思い出深い作品です。
その後いろいろとボブ・ホスキンスの出演作を観てきましたが、
『ニクソン』(95)のエドガー・フーバー役や『スターリングラード』(01)のフルシチョフのような「実在の人物」系、
『ダニー・ザ・ドッグ』(05)や『ハリウッドランド』(06)のような「コワモテ」系も存在感抜群だったし、
主人公を陰でサポートする『ステイ』(05)や『ドゥームズデイ』(08)の助演もよかったですね。
何ともユーウツな内容だった『必殺処刑人』(07)も、チョイ役ながら凄味の効いた演技にシビれました。
そんな彼のフィルモグラフィの中でひときわ異彩を放っていたのが「不気味な男」系のキャラ。
今回ご紹介する『フェリシアの旅』(99)の孤独な殺人鬼役がこのカテゴリーに相当するのではないかと。
…というわけで前置きが長くなりましたが、
『ケルティック・ロマンス』のアーティスト、マイケル・ダナ&ジェフ・ダナのフィルモグラフィーを振り返る不定期連載企画。
久々となる今回はマイケルの作品から『フェリシアの旅』(99)のサウンドトラックをご紹介します。
『フェリシアの旅』は元カレを追ってひとり旅に出た少女フェリシアと、
屈折した女性観を持つ孤独な中年男ヒルディッチ(ホスキンス)の交流を描いた異色スリラー。
「ちょっと壊れてしまっている人の救済のドラマ」という感じでしょうか。
監督が『エキゾチカ』(94)、『スウィート ヒアアフター』(97)のアトム・エゴヤンと聞けば、
「あぁ、あのタイプの映画ね」と納得して頂けるかと。
で、この映画でボブ・ホスキンスが演じている人物というのが、
彼自身が「切り裂きジャックとくまのプーさんをミックスした男」と分析するちょっと壊れ気味の中年男。
少女(といっても女子高生ぐらいですが)に向ける屈折した愛情とか、
テレビの料理番組(実はワケアリ)を観ながら黙々と料理を作る姿が何とも不気味です。
が、不気味さの中に悲しさとか淋しさを感じさせるホスキンスの演技が素晴らしい。
そんな恐ろしくも悲しい中年男の心理状態を的確に描いているのが、
マイケル・ダナの音楽なのであります。
エゴヤンがサントラ盤に寄稿したライナーノーツでいうところの、
「マントヴァーニ、ストラウス、バルトークにアイリッシュ・トラッドの要素を少々とスネアドラム」
…を採り入れた、ミニマルかつイージーリスニング風のオリジナル・スコア。
美術館とかで流れていそうな音楽です(特にアルバム2曲目のTitlesとか)。
前述の料理番組の”いかにも”なワルツ調のBGMもマイケルの書き下ろし。
マイケルはアコーディオンとスネアドラムの演奏も担当。
殺人鬼が登場するからといって、
この映画ではスリラー調のあからさまに不気味な音楽をつけたらダメなんですね。
なぜなら、屈折した女性観を持つ壊れた中年男が少女の純真無垢な魂に触れて、
長年心の中に積み重なってきた苦痛が洗い流され、
やがて癒しの時が訪れる…という話だから。
マイケルの音楽はその「癒し」を象徴するものでなければならなかったと。
「悩める者の心に寄り添う、癒しと救済の音楽」というのは、
マイケルの(特にエゴヤンと組んだ時の)音楽に欠かせない要素ですから。
アルバム14曲目のRest in Peaceのレクイエム的な女性ヴォーカルの響きは、
まさに「癒しと救済」のそれと言えるでしょう。
カスケード・サウンド風のマイケルのスコアといい、
劇中に挿入されるマルコム・ヴォーンの歌モノといい、
静かで妖しい物語にフィフティーズのエッセンスを注入するあたり、
どことなくデヴィッド・リンチ的だなーとも思ったり。
重苦しい話ですが、なかなか深い映画でもありますね。
ホスキンス氏のご冥福をお祈り致します。