『フォロウィング』(98)のリマスター版上映に続いて、今月は『メメント』(00)のリバイバル上映企画もあるそうで、いやはやクリストファー・ノーラン監督の影響力はすごいです。当方『オッペンハイマー』(23)は鑑賞を見送っておりますが…。
『メメント』は当時WOWOWで観ていた映画情報番組「Hollywood Express」で内容を知って、全米興行成績トップ10の圏内にも長い間ランクインしていた記憶があります。確か8位前後に4週くらいランクインしていたような…。インディペンデント映画でこの興行成績は大したものです。大作映画と違って公開劇場数が少ないですからね。
「瞬間的に興行成績ナンバー1に輝いた映画よりも、トップ10圏内に長く留まっている映画のほうが面白い」という自分が信じている法則のようなものがありまして、「だとするとこれは相当面白い映画なんじゃないか?」と思ったのを覚えています。
で、確かサントラ盤は映画本編を劇場で観る前に買ったと思います。
自分はハンス・ジマーやジェリー・ゴールドスミスのサントラもいろいろ買っていますが、新進気鋭の作曲家や、まだ無名の作曲家のサントラも学生時代から好んで買っていました。だからCDショップで『メメント』のサントラ盤を見かけた時も「おっ!」と手が伸びたものです。
しかしそのときの自分は購入を躊躇してしまいました。
なぜならサントラのジャケットに「Music for and inspired by the film」と書いてあったからです。「ひょっとしてこれインスパイア盤なのか?」と思ったのですね。
いまはこういうサントラが少なくなりましたが、インスパイア盤というのは「映画の中では使われていないけど、映画のテーマにあった曲を集めました」的な商魂逞しいコンピレーション盤で、ほぼイメージアルバム的なアイテムです。一番有名なのが『スピード』(94)の歌ものコンピレーション・アルバムではないでしょうか。あのサントラ盤に泣かされたリスナーも多いと聞きます。
だから『メメント』のサントラも「映画で使っていない曲ばかり収録しているのでは? 」と疑心暗鬼になったわけです。”Music from the film”ではなく”Music for the film”という表記でしたし。
で、若き日のワタクシはジャケット裏面を見て収録曲を確認しました。
ロ二・サイズの”Snapshot”やレディオヘッドの”Treefingers”、ビョークの”All is Full of Love”、モービーの”First Cool Hive”、ポール・オークンフォールドの”Amnesia”など、「低予算映画でこの曲は使えないだろう(映画の中で使えそうな場面もなさそう)」という曲がズラリと並んでいる。
これ買うのやめようかな…と思ったものの、デヴィッド・ジュリアンのスコアが11曲収録されていることを確認したうえで、購入を決意したのでした。劇中で使っていない曲は飛ばして聴けばいいやと。
結論から申し上げれば、買ってよかったアルバムでした。
MEMENTO Music for and inspired by the film – amazon
何といってもジュリアンのメランコリックなシンセスコアが素晴らしい。メロディを聴かせるタイプではないのだけれども、さざ波のようなシンセ・ストリングスと神経症的な電子音のコンビネーションがなかなか深い。カラーパートとモノクロパートで微妙にサウンドが異なるあたりも作りが凝っている。10分しか記憶が保てないレナードの喪失と渇望がジワジワと伝わってくるサウンドです。物悲しいコード進行も、時系列を遡った先に訪れる悲劇を予兆しているようで心を打つ。いくつかのスコアでレナード(ガイ・ピアース)のモノローグが入っているのは、ちょっとばかり好みが分かれるところかもしれません。
以前X(旧twitter)にも投稿したような気がしますが、ノーラン映画の主人公の内面をこれほどまでに生々しく音楽で表現できた作曲家はジュリアンしかいないと思います。
ジマーさんやルドウィグ・ゴランソンも『ダークナイト』(08)や『TENET テネット』(20)で完成度の高いスコアを書いているけれども、ジュリアンのような「無意識のうちに観客の頭の中に入り込んできて、主人公の心理的葛藤を疑似体験させてくれる音楽」とは少し違う気がするのです。
このへんのことは『フォロウィング』や『インソムニア』(02)、『プレステージ』(06)のジュリアンのスコアを聴いて頂くと、当方の言わんとすることがご理解頂けるのではないかと。
知名度の低さとノーランとのタッグが解消になってしまった点で損をしていますが、デヴィッド・ジュリアンという作曲家はなかなかの鬼才だと思っています。なにしろ『プレステージ』のスコアでジマーさんの『ダンケルク』(17)に先駆けてシェパード・トーンの技法を実験的に導入していた人ですから。
低予算映画でありながら、ラストにデヴィッド・ボウイの”Something in The Air”を使ったのは(予算的に)健闘したなぁと思いました(権利関係で断念したものの、ノーランはレディオヘッドの”Paranoid Android” をエンドクレジットで使いたかったらしいです)。
この曲は『アメリカン・サイコ』(00)のラストでも使われていたので、自分の中ではすっかり「記憶や心が壊れてしまった者へのレクイエム」というイメージの曲になってしまいました。
余談ですが『メメント』のパンフには著名人の応援コメント(感想コメント)のページがありました。
「もう忘れたのかよ!」
「また嘘かよ!」
さまーず(←原文のまま表記)の三村と一緒に観たい映画ナンバーワン!
…誰とは申しませんがこのようなコメントがありまして、「えぇぇ……芸能人の感想コメントってこんなノリでいいの? これ真面目な映画なのに…」と当時モヤモヤして頭を抱えた覚えがあります。
それ以来、自分は芸能人の応援コメントつきの映画チラシを一切手に取らなくなりました。こういうノリ、昔から苦手なんですよね…。