6月に東京へ行った時、
映画を1本観てから仙台に帰れそうだったので、
B級街道まっしぐらのニコラス・ケイジ主演作『トカレフ』(14)を観てきました。
愛する娘をトカレフの銃弾で殺された父親(ニコラス・ケイジ)が、
真犯人に復讐するべく暴れ回るリベンジ・アクション…なんだけども、
何だか全編ミョーなノリで、
「衝撃のラスト」と銘打たれているあの結末も、
呆気にとられるというか何というか…。
正直あのラストのオチは読めませんでした。
観終わってみればこの映画、
痛快リベンジ・アクションというよりも、
「ニコラス・ケイジの場当たり的な復讐のせいでムダに死人が出る」という、
「身から出たサビ・因果応報リベンジ・アクション」だったんだなぁと思った次第。
「娘が死んだのは辛いことだが忘れろ」と念を押すヤクザな親分、
自分がワルだった若い頃から因縁があるロシア人ギャング、
肝心な時に連絡が取れなくなる相棒、
娘が死んだ時になにも出来なかった若造…などなど、
胡散臭いキャラクターがいろいろ出て来まして、
ニコラス・ケイジが暴れまくって犯人捜しに奔走します。
で、映画の終盤で娘を殺した真犯人が一応明らかになるのですが、
よくよく考えれば一番のワルはニコラス・ケイジ扮する父親だった気がしますね…。
(ネタバレになるので詳細は割愛)
そしてその結末を知った上でこの映画を再検証してみると、
『トカレフ』は銃社会アメリカが抱える問題に鋭く迫った、
社会派映画の一面もあったのではないか? …と思ってしまうのです。
「いつものニコラス・ケイジのB級アクション映画じゃん!」
…と簡単に片付けられないシリアスな一面も持ち合わせているのではないかと。
しかし『トカレフ』を観に来た観客の過半数は、
「ニコラス・ケイジが大暴れする痛快リベンジ・アクション」を期待していたはずなので、
この結末を見せられて社会派云々と力説しても、
そこまで深く考えて本編を観た人はほとんどおらず、
結局「中途半端なB級アクション」扱いされて片付けられてしまったという、
何だか気の毒な映画でした。
まぁ『トカレフ』のDVDレンタルが始まった時にでも、
ちょっと視点を変えて本編をご覧頂くのも面白いのではないかと思います。
陰影のある映像もキレがあるし、
B級と割り切ってみればなかなか面白いですよ。
ワタクシは作り手の伝えたかったメッセージをしかと受け止めた…つもりでいます。